福山雅治がブスな瞬間は一秒たりともない。

たまたま原作のマチネの終わりにを品出ししたので夜な夜な映画鑑賞(そこは原作読めよ)


いきなり映画レビューしちゃうブログ。
一言で言えば大人な恋愛なのかもしれないけど、そんな一言では表せないくらい私にとって心に残る作品だった。

過去は未来で変えられる。

んなもん嘘やん哲学すぎかよ、、って思ってたけど、観終わる頃にはこの言葉があまりにも印象的で忘れられなくなった。

よく考えてみたら、腑に落ちれる自分がいたことに気づけた。
この言葉によって思い出す出来事や感情がたくさんあって無駄に数十年生きてきた訳じゃないな〜と自己肯定力低い感想が出てきた。低すぎ。


私は過去を美化する人が嫌い。

でも過去を美化する行為は未来の自分にしか出来ないことなので作中の言葉に当てはまってしまう。

気持ちの持ちようや見る角度を変えることで過去を変えられる(≒乗り越えられる≒痛みも共に背負っていく覚悟ができる)ことを洋子の涙のシーンで痛いくらい伝わってきた。

ここで今更書くけどメイン陣の演技がとてつもなかった。石田ゆり子の表情や仕草は美しく、女性としての強さと魅力に溢れていたし福山雅治の音楽家としての振る舞いや演奏シーンも全く違和感のないくらい当てはまっていた。
伊達に桜坂歌ってないや。春になったら絶対Mステで聴くヒット曲だもんね。
上位ランクイン不可避。

話戻って、
自分の体験を通して美化することも過去を変えられる行為なのだと学ばされたし、嫌いを明確に区別をする事ができた。

過去を美化する"人"が嫌い。

でも過去は未来で変えられるという"概念"は私の中でとても心に響いたし、理解ができた。

ようは美化する過去や過程によるんだと思う。
この言葉が救えるものは過去に向き合い、一生懸命に生きてきた人間だけなのだと思うし、そうじゃない人はただの能天気な奴だと感じてしまう。
三谷と洋子の過去との向き合い方を比較してそう感じる事ができた。


最後に、
人の人生は簡単に狂うし自分の手によって、一夜で、狂わせることもできる。
嘘にはそれ程の力がある。

戻れないところまで来たくせに
自分が楽になるために吐き出すことは1番してはいけないことだと思う。

突き通す覚悟がない人間は長い間嘘をついてはいけないし、ろくな人生じゃない。

すれ違いなんかアンジャッシュのコントだけでいいんだよ。って大島が言ってた。