今から書くことは私がネガティヴになってしまった話なのではなく、元からネガティヴなので
要するにあんまり気にしないでほしい。
病んでない。
まぁ誰も読んでないからいいのか。
鍵をつけずに全世界に発信しちゃうとかやば、初めてなんだけど。
現代っ子かよ。なんちて〜。
同じ気持ちな人がいたら力になればいいなって気持ちで書いてる。
誰も見てないんだろうけど。
どんな人が見てるのかな。
知り合いだったら笑う。
どうやって見つけた?連絡してこないで、ね。
人のことなんて全てわからない。
全部をわかってあげられることなんてない。
頭ではわかっている、めちゃくちゃわかってる。
なのに、独占欲とか理解したいと言う気持ちは容易に私の心を支配する。
この感情は海のようにいつのまにか荒れて、収まる。
友達から相談を受けた。
家庭の事情とか今までの苦悩とか色々私に話してくれた。
私とは育ってきた環境がかなり違っていたから言葉がなかなか見つからなかった。
頷くことしかできない。
意見を求められ、私の言葉で返さないとと思い、考えては消しての繰り返し、気づけば既読して返信ボタンを押すまで1時間かかってしまった。
心身がデリケート時にみる文章だと思えば思うほど私も送信ボタンを簡単に押せなかった。
送る前に何度見返しただろう。
文章は自分が出した音になれない。
要するに、抑揚もニュアンスも【読んだ人の心の中の黙読】によって変化するものだと思うから。
読み手の心の具合や癖によって様々な黙読ができる。
同じ本を読んでも読んでる時の環境や心情が違えばまた違った角度から作品を楽しむことができる。
多分読書も【読んだ人の心の中の黙読】によって変化するものの一種である。
そして黙読されることによってその文章は形となってその人の心に残る。
自分の口から発せないからこそ、思いやりと真剣さが伝わる文を考えなければならない、と改めて思わされた。
私がその人の立場になって理解してあげられることは少ない。
でも、話は聞いてあげられる。
聞くことで力になれるならいくらでも聞こうと思う、これは大前提。
でも、意見が欲しいと言われた時は
私の言葉で、私の喋り方の癖のまま、心の中で黙読してもらえるよな言葉を送りたい。
無責任な言葉は送りたくない。
真剣には真剣と思いやりを添えて返したい。
それは私の中のポリシー。
ジェスチャーも抑揚もつかないからこそ、私なりの考えとエールと励まし沢山の伝えたい気持ちをわかりやすく表現したいし、それができていたらいいな。
人と人は助けあって生きている。
それは物理的だけじゃなくて精神的なこともある。
見たことない神を信じられない人は金八もこの言葉もしゃらくせ〜と思うかもしれないが、私は信じている。
だから大切にしなくちゃいけない。
まぁ、頭ではわかっていても現実はそんなに簡単じゃない。
しゃらくせ〜と思ってしまう原因はこれ。
世界って全然世知辛いし、必ず最後に愛は勝つのは一例だし。
生きていれば大切なもの、背負わないといけないものが増えていく。
小学生でバカでかいランドセル背負わされた頃から背負う練習させられてんのよ。
だってこんなに世の中発展してんのにランドセルだけそのままだよ?
全部背負って生きていかなければならない。
大切なものが増えると動けなくなったり、若い頃の軽さを羨ましく思ったりするかもしれない。
でも荷物の質量は変わらなくても隣を一緒に歩いてくれる人、疲れた時に差し入れをくれる人、一緒に休憩してくれる人そんな人のおかげで背負うものを一瞬でも忘れられる、だからずっと歩いていられるんだと思う。
これが精神的な支えってやつ。
時間経つの早くねって感じたり、今日なんだか楽しかったなとか絶対一度は体験したことあると思う。
この記憶の中に絶対人がいるはず、それが支えてくれた人。
人生の岐路っぽいところに今立たされてて、どちらかというとサスペンスの崖っぷち目前なんだけど、まぁなんとかなる。と言いつつ、思いつつも不安。
大往生して死んでいった親戚を見て、いつかそうなる日が来るなんて漠然に思ってた私だけど、生きていくのって大変で辛いし責任も増えて、私の思い描く普通ってすごい責任と選択の数々、そして運が積み重なったものだと悟ったんだよね、だからこの気持ちを文にした。
生きるの大変、死にたいとは思わないけど、大往生出来るのかが不安。
真面目な顔してこんなこと言ったらあんたの方が病んでるやないかいと突っ込まれてしまうだろう。だから言わない。
とりあえず、今は生きてみてるからどうかあなたも頑張って欲しい。
年齢やタイミングは勿論あるしそれで普通かどうか判断されちゃう世の中にうんざりもする。
私に何が出来るのか、私が生まれてきた意味ってなんなんだろうと思うことも勿論ある、人並みにはある。
でも多分、ある。
見つけられないし、未来を考えるだけで不安が募るから考えたくないけど今はただ甘やかして生活をしていられるならいいんだと思う。
測れないからこそ楽なこともあると信じて。
とりあえず夜中にポテチ食べても茶色いお弁当買ってもいい。
ユーモアの摂取も忘れずにしていれば、わたしを救ってくれるものが現れるはず、はたまた自分で見つけられるかもしれないし受け入れられるかもしれないし。